Sail航海誌 No.1 「夕陽と羅針盤」
Sail航海誌について
日本語でのグローバル・コミュニケーション・サービス「Sail」
Sailを運営するスタッフが、Sailを通じた日々の交流で感じたことを綴ります。
凪の日も荒天の日も、航海を続ける一Sailerの記録としてお読みいただければ幸いです。
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初めまして。
日本語でのグローバル・コミュニケーション・サービス「Sail」スタッフのあさべです。
多くのSailer(Sailアプリのユーザー)さんから毎日
「Sailで今日はこの国の人としゃべった!」
「〇〇〇〇という場所ではお正月にこんなイベントをするんだって!」
という楽しい感想を頂いております。私も平日はほぼ毎日Sailアプリで会話をしており、その時の感想をSailerの皆さんにシェアしたいと思ってSail航海誌を始めました。
一回目の今回は、4月にしゃべったカンボジアのAさんとの会話についてシェアします。
Aさんとはその日が初めての会話で、簡単な自己紹介のあと互いの仕事や、お互いの国に行ったことがあるかなど、割とよくあるおしゃべりで始まりました。
カンボジアのアンコールワットで見た夕陽が美しかったこと、クメール正月の時期に行ったので飾りが印象的だったことを話し、「クメール正月だからテレビ局の取材も来てたよ~」などと和気あいあいとした雰囲気でした。ただ、どういった流れかキリングフィールドの話になり、クメール・ルージュ政権下のカンボジアでは、複数言語を理解すると見なされただけで処刑の対象になっていた、もし自分がその頃のカンボジアを生きていたら、という話になりました。
「もしその頃のカンボジアを生きていたら」―数年前、アンコールワットの夕陽を見ながら、同じ【もし】の話をカンボジア人のツアーガイドさんとしました。アンコールワットの素晴らしさを淀みない流暢な日本語で教えてくれたガイドさんが、ちょっと言葉につまりながら「でも、やっぱり・・・外国語の勉強はすると思います。実際に自分の目で見たことを、下手でも(外国の)人に伝えたい。」と言っていました。アンコールワットの夕陽は美しく、ガイドさんの言葉は忘れられない一言になりました。
4月にAさんも、同じことをしゃべっていました。「日本とカンボジアの架け橋になりたい。でも外国語が分からなかったら、誰かが見た世界を信じるだけになります。私は実際に日本へ行って、自分の目で見たことを伝えたい。」
私は今まで言語学習を制限される環境にいたことはないので、彼女たちの一言がどういう重みをもつのか、歴史的背景を全て理解することはできません。しかし、彼女たちが数ある言語の中から日本語を選択し、学習し、たまたま私とおしゃべりする機会があって、あの一言を話してくれたことを本当にありがたいと思っています。Sailerの私にとって、Aさんやガイドさんの一言は、航海に使う「羅針盤」のような一言になりました。
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