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2023 Apr 28
Sailer Interviews

SailerインタビューVol.33

小森さん (40代)千葉県

 けたたましく響きわたるセミの大合唱もまばらとなり、陽が落ちたあとにはコオロギの遠慮がちな羽音が聞こえるようになった。
 大国の侵攻が始まって、ちょうど半年が過ぎる。
 2022年の夏が、静かに終わろうとしていた——。

 Sailに登録してから、まだ1年も経っていない。しかし、会話数は250に近づこうとしていた。すくなくとも1日に1回のペースで、小森さんは外国の人との熱い会話を愉しむ。そんな夜のルーティンのために、急ぎ足で帰路につく。

 物心がつき始めると、外国を旅する自分の姿を想い描き、将来の進路を考えるようになった。小森家独特の環境もあったのだろう。叔父がブラジルで暮らし、叔母が航空会社で勤務していた。異文化に対する風通しの良さが、小森家の特徴だった。だからこそ、遠く離れた土地で日本への憧憬を深める人びとの気持ちが、痛いほど理解できる。国や家庭の問題、経済的な事情もあり、多くの人が夢を実現できていない。「役に立ちたい」。そんな気持ちが、彼女の背中を強く押していた。

 旅行が大好きなんです。ヨーロッパやアジアで十数か国を訪れています。それぞれに興味深い文化や習慣がたくさんありますよね。ヨーロッパでは古い建物の温かみに惹かれますし、アジアには同じアジア人としての親近感を覚えます。ただ、どの国へ行っても、現地の人から気軽に声をかけられたり、こちらが困っていたときに助けてくれたりと、いろいろな人たちとの出逢いがありました。

 私が最初に感動させられたのは、ヨーロッパだったんです。ちょっとヘンな言い方ですが、ヨーロッパの印象は「空が高い」ということです。初めての海外がポルトガルだったんですが、空がものすごく素敵で……

 海外の方たちに人気がある日本の観光地といえば、やっぱり皆さん「富士山」だとか「京都」「北海道の雪」などと言います。今はSNSがありますから、YouTubeから得た情報などで、とても詳しいんですよ。でも彼らの口から出てくるのは日本の観光地の定番ばかりで、ちょっと歯がゆい思いをさせられます。私たちの国には、よく知られた観光地以外にも、素晴らしい場所がほかにもたくさんあります。なので、そういう情報についてはSailを通じて私から発信して、教えてあげられたらいいなって思います。

 リスボンの夏は、雨がほとんど降らない。市の南側、テージョ川を臨む地区のベレンには、マゼランやヴァスコ・ダ・ガマをはじめ、大航海時代の探検家たちを記念するモニュメントがある。いくつもの荒波を乗り越えた彼らのスペクタクルな挑戦は、やがて日本にも及び、カステラやコロッケなどのポルトガル文化を伝えたのだった。
 何体もの彫像が見つめる視線の先には、たいてい真っ青な空が広がる。その透き通るような青と、大西洋へと伸びる水面の碧、そしてカラフルな家々の壁や屋根が訪れる人びとの心を穏やかにしてくれる。

同じアジア人としての心地よさと胸を締めつけられるような言葉。

 Sailは、今の私には欠かせないコミュニケーション・ツールになっていますが、最初に教えてくれたのは姉でした。新聞でSailに関する紹介記事をたまたま見つけて、私に教えてくれたんです。小さいころから海外の文化に興味があったし、外国の人とお話しをすることが大好きでした。そんな私をずっとそばから眺めているので、「これに登録してみたらどう?」って、その記事を見せてくれたんです。数日後には登録してました()

 もちろん、日本の人との会話も楽しいですよ。でも海外の方の視点や、文化や習慣のちがいを聞けるチャンスは、普段の生活のなかではあまりありませんでした。自分にとってプラスになることはあっても、マイナスになることはないのですから、Sailはいろいろなことを吸収できる絶好の場なんですね。

 アジアのSailerで印象に残っているのは、まず、台湾のおふたりです。日本のコミュニティセンターのような場所で独学で勉強なさったらしいんですが、このおふたりの日本語が、驚くほど達者なんです。どこの国の方もカラオケがお好きなようで、日本の歌をうたってくれたんですよ。残念ながら、私も知らない歌でしたが……()
 でも皆さん、TikTokなどを通じて本当によくご存知で、たとえば若い方だったら米津玄師さんだとか、YOASOBIさんあたりの曲をよく聴いているそうです。
 アニメの主題歌にもなった、星野源さんの歌を披露してもらったこともありました。比較的ゆっくりとした曲調だったので、「覚えやすかった」と言ってましたね。

 歌を交わすだけでなく、Sailの特徴をフルに活用して、映像を見せてくれることもあります。「今日収穫した野菜で、こういう料理を作ります」って、採れたてのゴーヤを見せてもらったり……。台湾には、私たちがよく知ってる緑のゴーヤのほかに、白っぽいゴーヤもあるんです。種類によって調理法も変わってくるらしいです。ホント、どの国の方とお話ししても興味深い話題ばかりです。

 台湾には2回しか行ったことがないんですけれど、同じアジアのなかでも抜きん出て日本について詳しい方が多いです。たとえば桜の開花じ合わせて関東から東北を縦断したり()。「え~ッ、そんなに時間とお金をかけて日本に来るんだ」って、本当にびっくりさせられます。昨日もちょうど台湾の方とお話しをしました。そしたら、「いまコロナで日本へ行けないから、さっきデバートで梅干しを買ってきて、おにぎりにして食べたのよ」なんて言ってました()。日本人と変わりませんね。

 一方でインドネシアでは、いま日本の納豆がSNSで人気があるらしいです。驚いたことに、ワンパックの値段が日本とはくらべものにならないほど高いんですよ。それでも、「インスタに載せるために買ってるんだ」って言うんです。いまの時代、いったい何が流行るのかわかりませんね。日本の発酵食品には、ほかにも味噌とか漬物とかいろいろあるじゃないですか。どれも身体に良い食品ですから、いろいろな国の人たちにどんどん知られていったらいいなって思います。

 そういえばインドネシアの方のなかで、年明けの1月と4月に「技能実習生」として来日する予定だという人がいらっしゃいました。そんな会話を続けるなかでよく出てくる話題が、住んでる場所の話です。「小森さんはどこにお住まいですか?」「千葉です」「大阪から遠いですか?」「新幹線で3時間ぐらい。東京で乗り換えです」「静岡からはどうですか?」。Sailに登録している技能実習生がたくさん全国で働いていて、私と接点のあった人たちが今後も日本で頑張るんだなって思うと、我が事のように嬉しくなりますね。

 ミャンマーの方のなかには、家じゅうを案内してくれた人がいました。外まで行ってくれて、「この木は、こんな実をつけます」「近くには、こんな川が流れています」「今日のランチには、こんな具材を使います」って、ライブ映像でガイドしてくれたので、すごく楽しませてもらいました。

 現在ミャンマーは情勢が不安定なので、こうしてお話できるのは一部の方たちなのかもしれません。都市部にお住まいの方とも話したことがありますが、「外は危なくて、夜は外出できない」って言っていました。なので、いろいろなことを細かく教えてくれる方がいらっしゃる一方で、言葉を濁す方もいらっしゃいます。都市部の女性の方たちからは、「買い物は早い時間にすませます」「ひとりでは出歩かない」などと伺ってますから、かなり不自由な生活を強いられている様子が伝わってきます。

 彼らのなかには、幼い頃にご両親を亡くされたっていう方も多くいらっしゃいます。内戦のために貧しさから抜け出せない地域の方たちのなかには、そういう悲しい過去をおもちの方が数多くいらっしゃいました。

 そんな話を聞くたびに、こちらも心苦しくなってしまいます。お互いの状況が、あまりにも違いすぎるじゃないですか。びっくりしたのは、Sailでお話ししてる最中に、家の裏で爆撃音があったことです。「私にも何かできることはないのか?」と思わせられましたが、けっきょく何もできないままでいます。だけどSailを通じて私と話すことで、少しでも気が紛れたり、明日からもういちど頑張ってみようっていう前向きな気持ちになってくれれば、少しぐらいは役に立ててるのかなって思います。

 Sailを通じてのコミュニケーションには、贅沢なまでの悲喜こもごもにあふれていた。料理や食材の話をしてはころころと笑い、また日本とはあまりにも異なる環境のもとで耐え忍ぶ彼らの言葉を聞いては胸を激しく絞めつけられた。
 そんな小森さんが新しいメンバーシップのS.I.M Sailerに登録したのは、Sailを始めて、わずか1か月後のことだった。メンバーシップ料の一部が各国の教育機関への寄付に充てられるというシステムを知り、すぐに申し込んだのである。「夢をはたせない人のために、何かお手伝いしたい」。そう考えていた小森さんにとって、「寄付」という具体的な行為は、彼女を突き動かすのに充分な説得力があった。

日本に憧れる人たちのもどかしさとほんのささやかなプレゼント。


 無料でお話しができるというのが魅力でSailを始めたんですけれど、HPをいろいろ拝見していたら、「S.I.M Sailerのメンバーシップ料は海外の教育機関に寄付される」という記述を目にしたので、興味をもちました。たとえ少額ではあっても、今後1年ないし2年、3年、10年と続けていけば、かなりの額になります。それからもうひとつ、「夢プロジェクト」など各イベントへのサポートもできるのであれば、「こんな私でも社会貢献できるんじゃないか」という実感がもてると思ったこともあります。

 日本語があまり得意ではない方に関しては、同じ内容の話を何度も繰り返して話しています。でもSailに登録するぐらいですから、日本語の勉強をものすごく頑張ってらっしゃる方が多いですね。じつは、私が皆さんにいつも訊くのが、「日本語検定をもってますか?」という質問なんです。すると皆さんが答えるのは、だいたい「N1」だったり「N2」だったり、つまりいちばん難しいハイレベルの日本語検定資格なんです。
 このレベルになると、日本人でもあまり使わないような言い回しだとか、難しい漢字が出てきます。とくに「N1」レベルには、新聞や雑誌を読めるような能力が求められますから、難解なビジネス用語なんかも出てくるんですよ。私も試しに「N1」レベルの内容を開いてみたことがありますが、「あ、こりゃ難しい」と思って、すぐに閉じたぐらいです()

そういう難しい日本語を皆さん勉強して、話せるようになったり、読めるようになったり、本当にすごい努力をされてるんだなと、逆に尊敬させられます。

 そんな彼らと話していると、「日本に行きたい」という気持ちがすごく伝わってくるんです。たとえわずかな登録料であっても、そのなかから少しでも彼らの助けになるんであればと。少額であっても、持続することが大事だと思うので。
 話す内容は、だいたい日常生活に関してですかね。日本に滞在経験のある方には、日本での生活について聞きますし……、でも皆さんのなかで共通して多い話は、漫画とYouTube、それから映画についての会話です。
 インドネシアには、ジャニーズが大好きな子がいましたね。日本に住んでる同郷の友だちにチケットを予約してもらったら、抽選で当たったって言うんですよ。ところがコロナの影響で日本へ行けるかどうかわからなくなっちゃって、「どうしても日本へ行きたいんです!」って() 

<初めて耳にした女性ロックバンドの曲が、社会人となった小森さんの進路を決めた。姉が見つけた小さな新聞記事が、一日の過ごし方を変えてくれた。そして、たまたま参加したカンボジアのツアーが、一年の過ごし方までも変えた。予定調和のない、それぞれの出逢いを愉しむことが、小森さんの人生そのものとなっている。>

心を揺さぶられたトルコ人青年と

 「夢プロジェクト」のファイナリストになったトルコの方が、私にはとても印象に残っています。好成績を残したほかの方とも何人かお話しさせてもらったんですけど、このトルコの青年は年齢が若いということもあってか、日本語の吸収力がものすごく早いんです。文章能力も日本人と遜色ないぐらい長けていました。自分で書いた文章を彼が読み上げてくれたんですよ。そしたら、まるで日本人と話してるようだったので、すごく驚かされました。

 だけど先ほどのミャンマーの方たち同様、日本へ行きたいという気持ちがどんなに強くても、彼らがおかれている難しい状況のなかで行動に移せない方たちが大勢いらっしゃいます。そんななかでトルコの方は、ものすごく頑張ってることが私にも伝わってきました。彼のスピーチどおり、「世界一の幸せ」をつかんでもらいたいと願います。

 じつは私もいま英語を勉強し直してる最中なんですが、そんな私とくらべたら、彼の「日本へ行きたい」という熱量は全然ちがいます()。日本が、本当に大好きなんですね。彼と話していると、日本人の私が気づかされることも多くて、逆に勉強させられます。

 もともと私は外国の人に対してステレオタイプ的な見方をするような人間ではなかったんですが、Sailを始める前と今とでは、外国の人やモノなどのすべてに対して、私自身の目線がかなり変わってきたと思います。「ああ、こういう考え方もあるのか」「こういう違った文化もあるのか」など、彼らと会話をするたびに、以前は気づかなかったような発見があります。

 残念ながら、トルコにはまだ行ったことがないんですけれど、被災地が復活してインフラが落ち着いたら、いずれは行ってみたい国のひとつですね。英会話の勉強でトルコの人と話す機会が多かったんですが、震災前はインフレで大変だって言っていました。私たちがネットを通じて知る状況よりも、現実はもっと厳しいという話も伺っています。たとえばネットではインフレ率が70%なんて言われていますが(=2022年9月当時)、実際にはもっと高くて90%じゃないかとか。日を追うごとにアパートの賃貸料が上昇してるとか、企業の解雇率も上がってるとか……、いい話があまり聞こえてきませんでした。ロシアやウクライナだけでなく、トルコから海外へ脱出する方も多いらしいです。でもこのような話を耳にするたびに歯がゆいというか、何もできない自分が残念でなりません。それだけに、S.I.M Sailerになっていることが、気持ちを多少は和らげてくれてるんじゃないかな。

 トルコが「オスマン帝国」と呼ばれていた1890年、帰国するために横浜港から出航した使節団が台風に見舞われて座礁、沈没してしまう。500名以上もの死者を出した悲劇となるが、日本政府はドイツ軍との協力で残された69名の命を救い、手厚い保護をしたという史実が残されている。 
 それから95年後の中東で、数年間にわたって続いていたイランとイラクの戦争が激化の一途をたどり、女性や子どもを含めた200名以上の日本人がテヘランに取り残されてしまう。このとき「今度は私たちの番だ」と、日本人救出のための救援機を手配したのがトルコ政府だった。2015年に制作された日本とトルコの合作映画『海難1890』に詳しく描かれているが、日本とトルコ両国の親善の歴史を紡ぐ物語として記憶に新しい。

 小森さんが関わっているのが、カンボジアの孤児院だった。草の根の親善大使といってもよいだろう。

 私はむかしから音楽が好きで、そんな私の人生を変えてくれたのが、女性だけの5人組ロックバンド「プリンセスプリンセス」(=通称プリプリ)でした。私の運命を180度変えてくれた人たちです。彼女たちとの出逢いがなかったら、「楽器メーカーに就職したい」という夢をもち、またそれを叶えることもなかったでしょう。「音楽に関わる仕事だから、英語をもっと勉強しよう」という気にもさせられなかったでしょうね。

 現在は違う音楽関係の仕事に就いて長くなりますが、英語を使う機会がありません()。でも、何度も中断してしまった英語の勉強に「もう一度取り組んでみよう」と一念発起し、通信の短期大学に通い始めました。今でもプリプリの音楽からヤル気と、元気をもらっているわけです。

 5~6年前、初めてカンボジアへ行ったんです。そのとき、たまたま参加したツアーのプログラムに孤児院への訪問がありました。それがきっかけで、以来、毎年その孤児院へ行くようになりました。かといって、ボランティアというほど大げさなものではありません。個人的に気になるので、訊ねているだけです。そこで出逢ったお友達とは、今でも年に何回かお互いに連絡をとり合っています。

 近年はコロナの影響があり、カンボジアに行くことができていません。そのあいだに、孤児院も閉鎖されてしまいました。あの子どもたちが今、どこで暮らしているのかわからなくなっています。それでも次回おとずれた時に、ひとりでも再会できたらなと願っています。

 自分が今まで知らなかったことを知れるっていうのは、本当にありがたいことだと思います。いろいろな国の人がいて、いろいろな考え方もあって……、もちろん、日本人にも個性はあります。でも、自分たちとは異なる文化をもった方たちと話すことによって、お互いのあいだにあった隔たりが少なくなって、それまで凝り固まっていた考えをほぐしてもらえるような気がして……。「もういちど英語を勉強しよう」と思った理由の一つには、まちがいなくSailでお話しした人たちの存在がありますね。

 「人生を変えてくれた」というプリプリと最初に出逢ったのが、『GET CRAZY!』という曲だった。女性バンドとしては珍しいブルースコードで始まるこの曲は、こう熱く綴る。
《呼ばれもせずに現れて 口を出す 大きなお世話のあいつ》

(聞き手・ライター 李 春成) 

 

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