SailerインタビューVol.24
「出会い」、それは私の人生そのもの
石川さん(80代) 神奈川県
スムースに会話に入るためにしていること
2020年の6月だったと思います。NHKの番組でSailが取り上げられているのを見て、海外の方と日本語で会話ができるということに興味を持ち、早速始めました。
私は、人生は「出会い」だと思っています。偶然や必然の「出会い」によって私の人生もさまざまに彩られてきましたが、Sailでの外国の方々との交流も、まさに「出会い」の積み重ねですね。今までに200人以上の方とお話しをしました。
初めての方と会話する時、パソコンの画面に相手の国の地図を出して、住んでいる場所を尋ねて確認したり、教えてくれる範囲で家族構成をお聞きしたりします。ある時、相手の女性の方が「今は日本で働いていますが、出身はベトナムの〇〇村です」と言うので、「たしか、同じ村出身の女性と最近お話ししました」と伝えると、「それ、私のお姉さんです!」って。妹さんは茨城県、お姉さんは兵庫県で働いているとのことで、私を接点に、異国の地で二人が繋がった。そんなこともありました。
それから、会話が終わると必ずしているのが、パソコンにその日の会話の内容を書きとめ、相手の方の会話レベルを自分なりにAからDに分けて入力しておくこと。次に同じ方からリクエストが入った時に、その記録を読み返してから臨むので、会話がスムースに進みますし、話題も重複しません。毎回、「どこに住んでいるの?」から始めたら、相手の方もちょっと嫌でしょ。それより、「先日、妹さんが小学校に上がると言っていたけれど、もう小学校に行っているの?」とかね。そうすると、相手の方は、妹のことを覚えていてくれたんだなと、こちらに親しみを感じてくれるし、コミュニケーションも取りやすくなります。記録は大事ですね。
会話レベルというのは、あくまでも私なりにやっていることです。Aレベルは日常会話に全く問題なし。Bは少しボキャブラリー不足の部分があって、時折「ん? 何のことかな?」と思うことがあるレベル。Cは時折、理解不能の単語がある。Dはまだまだボキャブラリーが足りなくて、例えば「住所」とか「仕事」、「健康」という基本的単語もわからないレベルです。CやDのレベルの方とは「この言葉はこういう意味ですよ」と、単語の説明をしているうちに25分が終わってしまうこともあります。
はじめから会話にならないレベルの方とお話しする時があります。はっきり言って、どうやったら相手の方とコミュニケーションをとれるか、と言うレベルです。私は大学時代にギター部に所属し、活動してきました。退職後は、アルゼンチンのギタリストから南米の民族音楽、フォルクローレのギター奏法の指導を受けました。現在は、横浜と茅ヶ崎のフォルクローレグループに所属し、公民館や老人施設、病院、小学校などでボランティア演奏活動を続けています。そこでギターを引っ張り出し「コンドルは飛んで行く」などの曲を弾き語りします。すると、困惑していた相手の方が、ニコッと笑顔に変わります。相手の方の後ろにお母さんや弟さん、家族が集まってきて私の音楽を聞いてくれるんです。うまく会話が通じなくても、せっかく私を指名してくれたのだから、せめて25分は相手にとっても私自身にとっても楽しい時間にしたいと思っているからです。
回数を重ねて、気兼ねなく話す楽しさ
中には、30回以上もお話しした方もおられます。中国の女性の方ですが、最初にお話しをしたのは、彼女が仕事で来日していたときのこと。仕事で日本語を使っている方ですから日本語でどんな会話も可能でした。話が弾んで楽しいですね。その後、中国に帰国し西安に住んでいました。そこでも会話を続け、現在は、西安から離れた田舎の実家で暮らしています。彼女と話をしている時は、「元気? それでね~」と、友達や親戚と話しをする感じで会話ができるので、私もワクワクします。
今はS.I.M(ソーシャル・インパクト・メンバー)Sailerです。マッチングに際して「承認してしゃべる」という機能があって、リクエストをいただいた世界の方々の中から、こちらが選択して承認、確定できるところが気に入っています。
例えば「日本語はほとんどわからない」とプロフィールに書かれている方がいます。日本人のSailerのみなさんの中には日本語を教えるスキルを持った方も大勢いらっしゃるので、単語ひとつにしても上手な教え方をされる方もいるでしょう。一方、私にできるサポートは、初歩の日本語を教えるというより、私の人生経験を、ある程度会話できるレベルの方と、さまざまなおしゃべりを楽しむことを目標としています。そのあたり、うまくマッチングできるといいですね。
人生のターニングポイントになった「出会い」
私の人生は、まさに「出会い」そのものです。常に最大限の愛情を与えてくれた両親との「出会い」は別格でしょうが、学齢に従って思い返すと、太平洋戦争が終結した翌年の1946年に東京・台東区上野の小学校に入学しました。戦地から復員し、私たちのクラスを6年間担任していただいた佐久本先生。厳しく、かつ、温かな、父親のような存在でした。
私は中学生からソロバンを習い始め、高校の時は、そのソロバン塾で助手としてアルバイトをさせてもらいました。
商業高校に進学していたので、卒業後は地元の企業に就職する、と漠然とした未来を想像していた私に、そのソロバン塾の経営者が、大学への進学をすすめてくれました。その事は私の人生の大きな転換点になりました。
大学に進学し、新入生オリエンテーションの場でギターの音色の美しさに感じ入っていた私をギター部に誘ってくれた先輩との出会いも、また私の人生を輝かせてくれました。
ギター部で演奏会を開催する都度、私は音楽著作権の手続きをするためにJASRAC(一般社団法人日本音楽著作権協会)によく通っておりましたが、就職の折に思い切ってJASRACを訪ね、自ら「就職したい。受験させてください」と頼みました。最初に対応してくれた職員の方、担当の課長さん、庶務課長さんの3人の取り計らいで入社試験を受けることができ、最終面接にこぎつけました。面接では、当時、JASRACの会長をされていた詩人の西条八十さんに「この譜面を歌ってみてくれますか」と1枚の譜面が出されました。JASRACの社歌の譜面で、♭(フラット)が三つもついているので「ギターでは初見で弾けますが、歌は無理です」と言ったら、なんだかその場の雰囲気が悪くなりました。これはまずいなと思い、意を決っして「歌います」と大声で歌ったら、試験官全員が大笑い、「結構」と言うことで、面接終了。失敗したなあ、と感じ、意気消沈して家に帰りましたが、その夜、なんと合格を知らせる電報が届き、そこから定年まで勤め上げたのです。
私がJASRACに入社したのは昭和37年。「著作権」という概念がまだ世の中に定着していない時代でした。私の仕事は、毎晩、キャバレーやナイトクラブ、カフェといった生バンドが入るような店へ行き、「音楽著作権の使用手続きをするよう」説明する仕事でしたが、どのお店のマネージャーも「著作権? なにそれ?」と取り合ってくれません。何軒回っても手続きしてもらえないような状況がしばらく続きましたね。しかし、その頃から、全国各地で社交場業者を相手にJASRACが裁判を提起して、JASRACの訴えがすべて認められ、世間的にもようやく著作権思想が定着し始めました。それまでは、仕事上で怖い思いをすることもたくさんありましたが、でも、もう忘れました。
その後は、カラオケの普及と共に「著作権」という言葉も理解され始めたわけです。私自身は、引き続き、社交場業務を担当し、大阪、四国、名古屋、静岡の各支部を転勤しました。
素晴らしい経験もさせてもらいました。定年を間近に控えた頃、作詞家のなかにし礼さんがJASRACの理事長になりました。私は、なかにしさんから役員室長に抜擢され、著作権の国際会議がワシントンで開催された際、同行させていただきました。会議の途中、当時のクリントン大統領が世界の音楽著作権関係者の首脳をホワイトハウスに招待しての食事会があり、私もお供させていただきました。男性のドレスコードはタキシードでしたので、私も一生に一度の晴れ舞台と意気込み、エナメルの靴やカフスボタンなどを奮発して参加しました。後にも先にもタキシードを着たのはこの夜だけです(笑)。ホワイトハウスの中庭で行われたパーティは、クリントン夫妻を交えて圧巻でした。
元をたどれば、大学進学を勧めてくれたそろばん塾の経営者や、その声を聞き大学へ進学させてくれた両親、大学でギター部に誘ってくれた先輩、JASRAC就職のきっかけを作ってくれた職員の方、などなど、さまざまな「出会い」が繋いでくれた縁で、生きる力をもらった人生でした。そんな私の人生経験を、Sailを通じて、世界の方々に伝えることができれば、と今夜もパソコンの前で待機しています。ドキドキ、ワクワクしながら。
(聞き手・officeSAYA 小出広子)
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